My Bike History:YAMAHA FZ750~

My Bike History:YAMAHA FZ750~

いままで乗ってきたバイクを思い出すシリーズ第4回目です。

前回の続きから、4台目はYAMAHA FZ750です。

限定解除をした私は高校の終わりにFZ750に乗り換えました。

FZ750は、当時ヤマハの新機構、5バルブのエンジンを搭載したバイクです。

鈴鹿8時間耐久ではTECH21で平さんが乗りましたね。大の平ファンであった私は、さすがにタカイのツナギは高いので、お友達の働いていたAnswerでTECHカラーのツナギ作ってしまいました。

TECHカラーのツナギ

これ以前のツナギは、膝はボロボロ、カビの大量発生で数年前に捨ててしまいましたが、こちらは今だ手元にあります。先ほど着てみましたが着れますね…。まぁ、Ducatiと色が違いすぎ出番がないでしょう…。

その頃の家族旅行はこんな感じでした。

このバイクで参加したMiss Bike Club 一万人大会は、いつも母と一緒に参加していました。いまでこそ、母子ライダーもたまに見ますが、当時は大変貴重な存在で「Miss Bikeの母」と呼ばれていました。バイクもVF400FからGPz600R 小忍者に乗り換えています。キャッチの写真も革ツナギ、GPAのヘルメットでGPz600Rに乗る母と後ろが私です。

Miss Bike の母

ある年の一万人大会に母と参加した帰りの土砂降りの高速道路。トンネルを抜けた緩いカーブを走っているその瞬間、スローモーションになりました。なぜか後ろを走っていた母が迫ってくるのが見えます。FZは勝手に雨の中を滑っていきます…。

停まったところは、高速の追い越し車線です。サイレンサーは真っ平になり、バイクは起きそうになかったので手を振りながら後続車に向かって走りました。この時は後続車が玉突き事故となり、本当に反省しバイクをおりよう…と思いました。

これ以降はかなりおとなしくなり、走行中に転倒ということはほとんどなくなりました。

次に乗ったGPz750Fは輸出用のサイレンサーとハンドルに変えて乗っていました。弟も全く同じGPz750Fで色もシルバーで一緒。弟は1100のサイレンサーとハンドルでしたが、ノーマルに比べると二人して音が違っていたので、同じバイクの人にあれこれ聞かれたりしていました。たまたま走っていてきょうだいでばったりなんてこともあり、その時流行っていたバイク漫画「あいつとララバイ」のスターダストブラザース(あちらはNinjaでしたけど。まぁ同じKawasakiということで…)のつもりで走ったりしていました。家族ツーリングの写真でわかるように、私がFZの時から弟はGPzで、高速ではいつもヨーイングが凄いのを見ていましたが、自分が乗ったバイクも同じで、ちょっとスピードを上げるとすぐにヨーイング、オシリがうねうねしながら走っていたものです。Kawasaki最後の空冷エンジンなので大切に乗っていこうと思っていましたが、その後ゼファーが登場し、乗り換えました。

ゼファーは改造に走りました。バイクに乗らないパートナーに迷惑をかけてはだめと肝心の走りは控えめに改造ばかりしていました。エンジンから外装まで何かといじって、ボーナスはワンオフパーツに化けたりしていました。盲腸で入院し退院後1週間の安静期間にも、ふとハンドルとウインカーを変えたくなり、車で上野まで買物にいっていじりだし、お腹に力が入らずどうしても外れないボルトがあって、傷口が開かないか、恐る恐る一番近いバイクやさんまで乗っていき、ボルトを外してもらい(申し訳ないので「おいくらでしょうか?」と聞いたところ「じゃ50円で」と50円払ってきました…)直したりしていましたが、ある時「これってキリない!」と改造をぱたりとやめてしまいました。

そして2000年12月、同じ市内にDucatiのディーラーができたので見に行ってみようと満兄ちゃんと出かけて、衝動買いでSS900を買ってしまったのでありました。

もとい、Ducatiは憧れのバイクで、高校生の私は大人になったらDucatiのMHレプリカにのって、長い髪でセンタースタンドたててキックでエンジンをかけることを夢見る変な高校生だったので、ある意味自然、むしろ遅かったと思います。

過去のバイク歴が事故歴につながる私でしたが、とにかく、事故のないように楽しまないとならないですね…。