3月20日 地下鉄サリン事件で入院 25年後初めて被害を語ります

3月20日 地下鉄サリン事件で入院 25年後初めて被害を語ります

※同じ様に被害にあわれ、思い出したくない方は読まないで下さい。その時の事を書いています。

平成7年3月20日、朝地下鉄サリン事件が発生しました。

そして私は地下鉄サリン事件の被害で8日間の入院をしました。8日間と言うことで入院者のうちでは軽かったとは思います。

ブログで書くべきか書かないか毎年考えていましたが、25年ということを一つの節目に当時を振り返りたいと思います。

当時私はN自動車商品企画室勤務。社内結婚をしていましたが、元夫はディーラー出向しており一人で会社のある東銀座までJRそして地下鉄日比谷線を使い通勤していました。

N自動車はそれ以前からフレックスタイムを導入しており、私がペアで仕事をする人は8時半定時出勤に何があっても5時半(記憶が定かでないのですが確か5時半)定時退勤、私はやむなく残業をするため、朝は少し電車のすく9時ころに出勤するようにしていたところ、この前日に「朝定時に出勤して。」と言われ、だったら残業もしてほしいなぁと思いつつ朝8時半に間に合うように家を出ました。

JR八丁堀駅から日比谷線への乗り換え。

方面の同じよその課の主担(課長)と一緒になりました。

地下鉄へ降りていくと、上り電車が止まっていました。

いつもは混んでいる電車ですが、乗客はほとんどいませんでした。

前から3両目に乗ろうとしたのですが、ホームにある売店のそばのベンチの下り側で白いパンツスーツの女性が倒れ痙攣していました。

どうしたのだろうと少しのぞき込みましたが、電車も動いていないから、タクシーで出勤しようと主担が先を進みます。後から考えると、この時に被爆したとしか考えられません。女性を触れることもなくでした。

後でわかったことには、サリンを暴露された電車は一つ先の築地駅に行っており、私が乗ろうとしていたのはサリン暴露の次の電車だった様です。

この女性は、築地に着いた電車から降りて倒れたのでしょうか?周りには誰もおらす痙攣していたのです。

階段を上がる手前で、後輩のえみちゃんがいたので、「えみちゃーん」と大声で呼びかけました。

三人でタクシーに乗ろうと地上に上がろうとしましたが、足がとてもだるくなり、上がるのもやっとです。

この時電車が止まっていたのは「築地駅でガス爆発があったらしい。」ということでした。

会社へ着くも、体はどんどんだるくなります。

N自動車本社には保健室があるのでそこへ行くことに。

体調不良の人が何人も保健室に押し寄せていました。

保健室では対応しきれず、近くの聖路加病院もすでに大変なことになっていたので、N自動車の関連の玉川病院まで、会社のマイクロバスシビリアンで向かいました。

多くの人は、目に異常がでており、縮瞳(瞳孔が縮小する)している人が多かったと記憶していますが、あまりだるさを訴える人はいなかったと思います。そしてものすごく息苦しかったのです。

玉川病院につくと、みんな階段を使って確か2階にあった診察室で順番に受診となりましたが、ここでも階段を上がるには手すりにしがみつきやっとの思いで上がるというくらいでした。とにかく力が入りませんでした。

順番に診察です。診察は脈拍を測って問診。

私は脈が異常に遅くなっており、縮瞳も少しあり「あなたは入院です。」と言われました。

診断前に私より縮瞳がひどく出ていた人が「(縮瞳も大したことないし)あなたは平気でしょ。」と私に話していたのですが、その人は会社に戻ることになり私が入院となった際に「私は入院しないで平気なんですか?」と医師に聞いていました。

そこから病室に。病室は6人の大部屋でしたがナースステーションに一番近い部屋でした。

着ていた洋服とバッグ(ちなみにシャネルのバッグでその後破棄)パンプス(これまたフェラガモ、今の私からは想像つかないですね)など身に着けていたものは、大きなビニール袋に入れられ口を閉じてベッドの下に置かれました。

ホルター心電図という24時間常時観測できる心電図が付けられました。ナースステーションに機器があり、そこから自分の心臓の動く音が「ピッピッ」と聞こえてきます。

ベッドに寝ながらテレビをつけると事件を報道しています。

築地駅周辺はテントも張られて凄い事になっています。

暫くすると元夫が到着。何を話したかはあまり覚えていません。満兄ちゃんも来てくれ、縮瞳して薄暗いと話しました。後から聞いたところによると、奥さんのしおりーなに「すげー目立った。やばいよー。」と話していたとのことです。自分では大したことないと思っていたのですが、そうではなかったようです。

この日は疲れ果てて寝て、二日目の朝起きると看護婦さんが「昨日の夜苦しくなかったですか?」と聞いてきました。気を遣ってくれているのかしら位で「大丈夫です。」と答えました。

そしてその翌日も、やはり朝別の看護婦さんが「昨日の夜、すぅ~となりませんでしたか?」と聞いてきました。この時も「とくには…。」と答えたあと「すごい脈が遅くなっているのか?」と思いましたが、怖くて看護婦さんには聞けませんでした。

昼間は上九一色村のオウム真理教のサティアンの強制捜査の様子をテレビで見ていました。警察が来て話をして、被害届の提出をしました。

三日目の夜。

消灯後の病棟で、ナースステーションから「ピッピッ。」っとホルター心電図を通した自分の心音が聞こえてきます。「止まったらどうしよう?」とその夜は眠れませんでした。

四日目もずっとテレビを見ていました。連日事件の報道です。

もう家に帰りたくて帰りたくて。こんな心音聞いているのはいや!と、思いました。

多分会社には私の健康診断の記録もあり、それらを病院に提出していたのかいないのか、家に帰りたい一心で、元夫に私の脈拍の記録を探してきてもらいました。

直近の涙嚢炎の手術の時にも書きましたが、時として私は脈がゆっくり目になるときがあるようで、鍼灸院の記録に、ゆっくりした脈拍のものがあったのでそれを貰ってきてもらいました。

スポーツも全くしておらず、スポーツ心臓ということはないのですが、昔からのんびりゆったりしていると50台になるような時もありました。

但し入院した時はたしか30台とか40位ではなかったかと思います。

入院して5日を経過したことには、胸の苦しいのもだいぶ収まってきましたが、相変わらず心電図はつけたままです。

みんなの行動している昼間にうたたねして、夜は起きているようにしましたがだんだん疲れてきます。

医者にももう大丈夫だから帰りたいと再三訴え、元夫が6日目だったと思いますが、先に話した記録を持ってきました。脈も遅めではありましたが気管支炎の症状もなくなり8日で退院しました。結局、最後までホルター心電図はつけていました。

治療内容はあまり覚えていませんが、心電図による経過観察やサリンにより数値の変わるコリンエステラーゼの数値を検査されていました。何だったか忘れましたが、点滴も入れられていました。

つぼみだった桜の花が咲き始めていました。

帰宅して数日自宅で休んでから会社に復帰しました。

後で聞いたところ、私が入院してしまったので、同じように行動していた二人はその後一応保健室に行ったらしいです。

会社にはもっと重篤な症状の人もいて、国内営業部門の人はその後1年近く入院、退院後会社に復帰しましたが、全く別人のように表情が消えていました。

私はというと、会社で2つ下の後輩Tに「サリンちゃんでゆっくりできてよかったですね。」と言われました。今でもたぶんN自動車に勤務していると思います。配慮を欠いた一言は、いつまでも忘れられません。

その後、一度通院しサリンによる通院は終了しました。

そして3か月後の6月20日、こんどは会社で腹痛がひどくなり、保健室から聖路加病院に運ばれ、盲腸ということで手術になりました。この時は、元夫に「またか…。」と言われました。私は悪くないのに…。しかも手術したら、「盲腸ではなく大腸憩室炎でしたが、盲腸も切っておきました。」とのこと。今思えば、医療ミスとも考えらる話ではないかと思います。

入院3日目のように考えは後ろ向きに、さらに三か月後の9月20日は何が起こるか怖くて、びくびく過ごしました。

ちなみにサリンの入院は、通勤労災となりました。

今まで、本当に身近な人にしか話してこなかった内容です。

これより2年前には、生まれて2か月半で子供が乳児突然死症候群で亡くなったりということもあり、常に「頑張らなきゃ!頑張らなきゃ!」と生きてきましたが、最近年のせいか、そう思えず、かなり弱気になっています。

当時は、同じ経路で通勤もしていましたが、N自動車をやめた後に体調を崩したこともあったせいか(その割に入院中にPCやら運ばせてずっと仕事していました。ここでも頑張りすぎ…)、とにかく弱くなり、八丁堀駅ではドキドキするように。

今の八丁堀駅は、当時の売店も無くなっているのですが、どうしても女性が倒れていた光景を忘れることができません。

あの場で亡くなった方、また事件で亡くなったすべての方のご冥福をお祈りするとともに、同じように事件の思い出で辛い思いをしている人達が落ち着いて暮らせるようにと思います。

このように書いているだけでも、色々と考えてしまいます。

私がこのように書くことが何か意味があるかはわかりませんが、多くの人が犠牲になった事件であったということで今回書きました。本当にサリンを直に被爆したということでなくとも被害にあうような猛毒だったのです。

もう一話、事件について書きたいと思います。次回は事件後に被害者のために尽力されている団体についても書きたいと思います。

※関係者の方へ 今回の内容で不適切と思われる個所があればお問い合わせよりご連絡ください。