レース当日:第2回 港澳日電單車交流團

レース当日:第2回 港澳日電單車交流團

今回参加した日本のレジェンドライダーの皆さまと写真をパチリ。

上の左から、チーム金谷からレース参戦の毛利選手、同じくチーム金谷の江崎選手、スズキ及びホンダファクトリーでGP500に参戦していた暁の超特急荘選手、スズキファクトリーでマカオの帝王われらがアニキ輝井選手、二段目の左日本のモトチューナー、カフェレーサーを手掛けたYAJIMAさんの弟で今はご自身でイタリア車の修理レストアなど行うカロッツェリアマチオヤジマを経営されている矢島さん、私、静岡にあるRZやTZなどの2ストのチューンやチャンバーなどのパーツ製作などを行っているTOSI-TECのアッシーさん。

続いて、チーム片山、当時の現役GPライダーが協力しレースシーンを撮影した名作バイク映画「汚れた英雄」で、一番の見せ場のレースシーンで主人公アキオの役でバイクを走らせたチャンピオン平忠彦選手に絡む走りを見せていたゼッケン79番新井亮一選手。

ご存知、オフロード界のレジェンド、SP忠男の忠さんが、レザースーツでロード参戦!

忠さんレース後に「グリーンベルト走らせたら俺が一番早いぞ!」って言っていましたが、ロードでもコーナーで抜いていました…。

現役レーサーでは、チーム加賀山の加賀山選手!

超さわやか今野由寛選手とは、さわやか過ぎて写真撮れませんでした…。

カメラマンとして参戦?したのが、トライアルの伝道師、イタリア行きでもお世話になったトシ西山さん。

満兄ちゃんのかわいいカブで移動中!ちなみに、先の忠さんの「グリーンベルト走らしたら…」の発言にトシさんは「僕は二番かな?」って、お二人そろってなんだか?!

ピット裏には、TOSI-TEC、クシタニなどのブースもありました。香港・マカオライダースクラブの皆さん、色々とお買物されていました。中にはクシタニのツナギをお買いになり早速着て走っている人もいました。

このレース、福島のエビスサーキットでの開催ということで、「がんばれ福島」の横断幕も掲げられています。

そして、福島のTV局や新聞社の取材もありました。福島県庁の観光局の方もご挨拶にいらっしゃいました。

新聞社についてはこちら→福島民友ニュース 県内ニュース6月7日「国内外ライダー交流 二本松・エビスサーキットで耐久レース挑む」

テレビでは、最近の外国人観光のスタイルの変化ということで「消費型観光」から「体験型観光」へと変わってきているということを話していました。

私なんて毎回体験型の旅行ばかりですね。アルプスツーリングとか海外ドライブとか。これからもっともっとこのような体験型旅行に変わっていくことでしょう。

ということで、今回は鎖骨骨折2名ありましたが、無事に(?)レースは終了。私は骨折の人の病院搬送係で加賀山さんの走りが見られず少し残念でしたが、ケガも入院ということもなく少しお手伝いもできよかったです。

終わったからの表彰式では本当に皆さん嬉しそうでした。

このあと、東京での観光も楽しみ、バイクショップでお買物もされ5泊6日の行程を終え香港に帰られました。

かつてライバル同士であったレーサー達が何十年経っても交流があり、このようなイベントを開催するとは、すごいことです。

輝井さんがぱっぱと動いてみんなに声をかけるのですが、その後ろにいるのが、日本のバイク5メーカー(現在の4メーカにトーハツ)のファクトリーライダーをされた安良岡健さん。かのバリーシーンとも交流が深く、バリーシーン宅には健さんのお部屋があったとかないとか。ほかにも聞いたのは、アメリカでレースにために移動していた時、見知らぬ人から「お前どこから来たのか?」と聞かれ「日本だ」と答えると「ケン アラオカを知っているか?」「よく知っている。じぶんの親分だ」と答えたとことその場で大歓迎されたとか。

今回健さんは、参加する予定でしたが体調がすぐれず参加できませんでしたが、本当にダンディーで素敵な人です。強いリーダーシップで当時のレース界をけん引していたことがわかります。

いつもレジェンド忘年会には参加させてもらっていましたが、それだけでは感じられなかった、このレジェンドたちのレジェンドたる所以を感じました。

とても楽しいイベントに参加させていただきありがとうございました。来年も楽しみにしています!

と、1周だけ、1年ぶりに、カブに乗りました。